日記・コラム・つぶやき

真意の一言

sun信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。本当によくわかるまで。わかりがおそいことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だsun

1978年菊池寛賞を受賞した歴史小説家五味川純平の、著書『戦争と人間』からの一文である。

しっかり物事を見極めることは、たやすい事ではなく、さらに勇気のいることである。軽率に信じたり、うわべだけの知識で知ったかぶりするのが世の常で、深く考え、疑い、わからないものは解らないと言える人は少ない。私の好きな佐高 信さんが少ない一人であって欲しいと思うが、彼が「日本人は重度の「軽信症」を患っていると思っています。軽く信じて軽く捨てる病いです。」と言っている。疑って疑って疑いぬいて本質を捉えようとする日本人がいなくなったと彼は嘆く。

悲しいけれど政界、財界、マスコミすべてに、巌(いわお)のごとくどっしりとし、荘厳なる人物がみあたらない。言ったりやったりすることがあまりにも軽々しく、どうなる日本と危惧さえ感じる。他人のことを言える立場ではないが、この悪しき環境に於いては、疑って疑いすぎることは無いと思う。自分が信じ得るまで追求する、これが今われわれには必要なのだ。

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今必要な一言

sun空気を搾り 一滴の水をしたたらすsun

「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観に基づいて数多くの作品を執筆した、司馬遼太郎の言葉である。代表作に「竜馬がゆく」「国取り物語」「坂の上の雲」等がある。小説を書く上で、ものすごいエネルギーが必要であることを、比喩的に言った言葉である。

人は、「効率化」の名の基に、飛躍的に文明を進化させてきた。「効率化」は時間を短縮させ、作業を簡素化し、新しい手法や機器を創造した。生活は向上し、誰でも平易に物に取り組むことができるようになった。全て「効率化」のおかげである。しかしこの「効率化」が生み出した平易さが、なぜか今の我々現代人の安直な考えや行動を助長したきらいがある。「効率化」の恩恵にどっぷり浸かり、自ずからじっくり考えたり行動したりせず、判断力にも乏しく、がまんを知らない。〔急がばまわれ〕は死語になってしまったかのようだ。だから、無責任で、安易な言葉や行動が、巷に満ち満ちている。最近の政治家の言動などは、この最たるものである。

『空気を搾り、一滴の水をしたたらす』くらいのエネルギーを持って、物事に深く対処したことがあるだろうか。蛇口をひねればすぐ水が出る生活に慣れてしまい、平面的に浅い対処で済ましてきたのではないだろうか。安易に「効率化」を早急すぎると、逆に「非効率」になる可能性があるし、後に禍根を残す最悪の事態に成りかねない。

今こそ、、「効率化」を脇に置き、この言葉をじっくりかみしめてみるべき時ではないだろうか。

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身近に感じる一言

sunわれ男の子(おのこ) 意気の子 名の子 つるぎの子 詩の子 恋の子 あゝもだえの子 sun

明治大正時代の歌人である与謝野鉄幹(本名 与謝野 寛(ひろし))の『紫』の一首である。。明治32年「東京新詩社」をつくり、翌年、文芸雑誌「明星」を発刊して、ロマン主義文学運動の中心となり、明治34年 鳳 志よう(後の与謝野晶子)と結婚。彼女の歌集『みだれ髪』のプロデューサーでもある。

この歌を真にあじわうならば、鉄幹の当時の生活状況を知らなくてはならない。詳細は省くが、前妻との離縁問題。与謝野晶子と数人の同時恋愛。「文壇照魔鏡」による誹謗愁傷。新詩社の財政難。友人との不仲、彼の周辺は、容易ならざる風が漂っていて、そんな状況下で生まれた歌であった。勇ましい詩つくりで虎の鉄幹と呼ばれた彼であったが、心にうずまく複雑な心境が吐露されている。

意気の子 名の子 つるぎの子=気丈夫=大人の男子。ああされど、もだえの子なのだ。気弱の中に、甘えとナルシズムが見え隠れする歌である。そう感じるのは、僕がもだえの子、そのものだからだ。鉄幹も「多情仏心」の男の子である。「多情仏心」とは、情が多く移り気だが、無慈悲にはなれないことを言う。だからもだえの子なのである。「無情魔心」になれたらスッキリするのにと思うときが多々ある。しかし、もだえの子から脱し得ない。遺伝子が、心の居場所を確保してるせいだ。

pencil淫靡なる アラーキーのフォトに疼く 我はいまだに 惑いの五十路(いそじ)

pencil隠れ那須 むさぼり交わる 恥骨の音を 狂い奏(かな)でよ 九尾の狐

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懐かしい一言

sun一言文句を云う前に ・・あんたの○○を信じなさい・・あんたの知らない明日がある  ほりゃ明日がある ほりゃ明日があるsun

昭和38年 植木等とクレージーキャッツが歌ってヒットした西島大作詞の 「学生節」の一節である。ちなみに作曲者は山本直純。

当時高校受験の兄へ勉強に身が入っていないと苦言を呈した父が、小学6年の僕がこの歌をうたって聞かせると、兄にむかって「信じてるぞ」と一言吐いて、苦笑いしながら酒を飲んでいたのを思い出す。その後兄は見事に受験には失敗したが、父の一言により以前よりは勉強したと思う。

『愛することは、信じることの必要条件だ』と言ったのは、フランスの小説家ビクトル・ユーゴである。愛があるからこそ信じることができる。また、相手を信じてあげることによって、相手に愛を感じさせることができる。信じ合うことは、容易いことではない。しかし、信じ合うことで大いなる愛を勝ち得ることも可能なのである。この「学生節」は、とぼけた言い回しでありながら含蓄のある歌である。このあと、おふくろさん、学校 の先生、恋人の立場から歌われるが、歌詞はうら覚えでほとんど忘れてしまった。でも子供ながら、親父と息子を他の人物にした替え歌をよく歌って遊んだものである。

 憂さ晴らしに歌って見ませんか?気が晴れますよ!サラリーマン・OLの皆さんは、元歌の親父息子を部長(課長)と社員に替えて、恋人は、好きな人と彼氏(彼女)に、夫婦は適当に替えて・・・・。

学生節
西島大作詞 山本直純作曲

一言文句を云う前に Gakuseibushis_3
ホリャ親父さん ホリャ親父さん                 
あんたの息子を信じなさい
ホリャ信じなさい ホリャ信じなさい
柳は緑 花くれない
風が吹いたらナンマイダ
あんたの知らない明日がある
ホリャ明日がある ホリャ明日がある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの息子を信じなさい
ホリャ信じなさい ホリャ信じなさい

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粋な一言

sun三千世界のカラスを殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたsun

勤皇倒幕の志士である高杉晋作の作といわれている、有名な都都逸である。都々逸は七・七・七・五の短詩型で、三味線と供に芸者や妓女が唄う江戸情緒豊かな粋な当時の流行歌であった。

「夜明けになると、あんたは帰ってしまう。だから口うるさく鳴いて起こす あらゆる世界のカラスを全部殺して、あんたとゆっくり朝まで添い寝してみたい」と、せつなくて、はかない女心を表現している。

都都逸は作者不詳が多く、この歌も高杉晋作がどこかで聞きかじり披露したため、それを初めて聞いた客人が高杉晋作の作としてしまった可能性もある。現に、木戸孝允や久坂玄端の作であると言う文献もあり、天保年間、江戸の寄席ではやった都都逸であるともいわれ、定かではない。

それにしても、こんな粋なざれうたを、三味を弾く女性のひざまくらで聞いたら、さぞかし気持ちの良いものだろうな。日本人に生まれて良かったと、つくづく思う今日この頃です。

《好きな都都逸》

恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす
主と私は、玉子の仲よ、わたしゃ白身で黄身を抱く
惚れさせ上手なあなたのくせに、諦めさせるの下手な人
諦めましたよ、どう諦めた、諦めきれぬと諦めた

pencilいれて恥ずかし あなたにまかせ 夢見心地の 耳そうじ

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熱愛の一言

sunむねの清水 あふれてつひに濁りけり 君も罪の子 我も罪の子

明治、大正期の「情熱の歌人」与謝野晶子の『みだれ髪』の一首である。 「胸に湧く清水のような情愛があふれでてしまい、とうとう不純な関係になってしまいました。あなたも私も罪な人間なのですね」 妻を持つ与謝野鉄幹との情愛を歌った『みだれ髪』は、性愛を連想させる言葉で大胆に表現したため、当時の評者から「乱倫」の罵倒を浴びせられた。それとは逆に、文化の新生を期待する若者たちは、晶子のほとばしる性の息吹を、興奮と歓喜で迎え入れた。

与謝野晶子は、もう引くに引けない鉄幹との恋情を、お互いを罪の子と歌い、その共犯とも言うべき関係にほくそ笑む。してやったりとの女の情念さえ感じ取れる歌である。男も、それなりに満足しているにちがいないが・・・。感情がストレートで、能動的でかつ不屈の精神をもつ女性は、いつの世も、すごく好かれるか嫌われるかのどちらかであるが、歌から窺がえるこれらの与謝野晶子像は、私はすきだ。生のほとばしりを感じさせる女性は、プラスのエナジーを与えてくれる。男の運気も上げてくれるに違いない。

与謝野晶子『みだれ髪』から

乳ぶさおさへ 神秘のとばりそとけりぬ ここなる花の紅(くれない)ぞ濃き 「乳房を押さえ わたしの神秘な箇所を隠す衣のすそを指先でそっとけり開ける。今わたしのアソコが、紅く濃くなってうずいてます」

春みじかし 何に不滅のいのちぞと ちからある乳を手にさぐらせぬ 「女の盛りは短い。だから不滅の命に何の価値もない。すべてが、この今なのよ。そう言って若さみなぎる乳房をあなたに触らせた」

やわ肌の あつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君 「やわらかな肌の下に疼くあなたを慕う熱い血潮、そんな私に触れようともしないで、寂しくはないんですか?ありきたりの道徳を説いてばかりいるあなたは・・」

                   ※「現代語訳」管理者

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セラピー好きな人に一言

sun心理学は最も重要な学問であり、同時に最もどうでもいい学問であるsun

ドイツの科学ジャーナリスト、ロルフ・デーゲンの一言である。彼は、ドイツ心理学会から科学出版賞を受賞しており、有名な著書に 『フロイト先生のうそ』文芸春秋 がある。

この著書の中で彼は、「心理療法にはおまじない以上の効き目はない。心理療法の効果と言われるものは、実はプラセボ効果に過ぎない」と断定する。

プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込ませる事によって何らかの改善がみられる事を言い、すなわち、効果を信じる自己暗示によって起こる症状改善である。

また「ちょっとした解釈のコツを会得してしまえば、精神分析は《賢者の石》となる。この天才的な啓示は、ちょっとかじっただけの人にも、人生の秘密のメカニズムを見通す力を与えてくれる。これこそ精神分析の永遠の誘惑である」と言う。そして「精神分析というこの魔法の杖は、素人でもすぐに手に入れることができる。分析のコツを習得した人は、全てを見透かせるX線のようなまなざしを手に入れたとうぬぼれる。レトリックの手品を駆使して、彼らは頭でっかちの素人のプロファイリング熱を満足させる」とセラピストたちを嘲笑する。

確かに日本も、にわかセラピストの烏合の衆が増加している。それは、カナダの心理学者テイナ・ダイニーンが言うように「いかにも思いやりのありそうな仮面の下に、飽くことを知らない利己的な産業がひそんでいる」世界になりつつある。そして、セラピストたちは「セラピストの指導を受ければ人格は根本的に変えられる、性格的な短所や欠点を直すことができる、と信じ込んでいる」人に、その理論が古い理論のパッケージを変えただけのモノであるにもかかわらず、、現代のストレス社会を救い、自己変革の手助けをする新理論のように説くのである。

心理カウセリングは、手法が科学的と言うよりも宗教色が濃い。それは、占い師や霊媒師のように、相談者と会話することだけに意義がある。それは、モノや記号や図形を使って相手を洗脳し、満足感と言う感覚を、持続的ではなく、瞬間的に与えることでる。

ロルフ・デーゲンは言う。サイコセラピストは、「カネで雇った友人」にほかならない

barあなたの悩みを解決する最良の方法は、貴方が心理カウンセラーになることですhappy01

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遊・戯の一言

sun遊びをせんとや生れけむ  戯れせんとや生れけん  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ sun

平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中の言葉である。現代語で《遊ぶために生まれてきたのだろう。戯れるために生まれてきたのだろう。遊ぶ子供の声を聞いていると、自分の身もうちふるえて来る》となる。

仏語に『遊戯三昧(ゆげざんまい)』という言葉がある。遊び呆けるということではなく、なに事にも、己を忘れるくらい自分自身のすべてのエネルギーを注ぎ込んで取り組む、すなわち、遊んでいる子供のように、今、取り組んでいるその事に没頭することの意である。「梁塵秘抄」のこの句は、この『遊戯三昧』の比喩としてかかれたものではないだろうか。

また、桐生典子の小説「エゴイスト」の文中に、この句がでてくる。ストーリーは別として、ナニを躊躇する男にむかってヒロインに言わしたセリフが印象的だ。『遊びというのはね、本来の意味は、魂をなぐさめることなんですって。命を奥底から浄化すること』

wineセックスは 人と人との 崇高なお遊び

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真摯に受け止めた一言

sun理性を正しく働かせるためには、精神の自由を保ち、既成の知識でそれをとらえることをやめなければならないsun

フランス哲学の研究者であり、医学博士の 澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき)の一言である。この言葉は、ロングセラーの著書『「自分で考える」ということ』から抜粋した。

澤瀉氏は、《理性とは、ものごとを正しく判断する能力である。真と偽を区別する力である》と言う。そして、《どこまでも「自分で考える」ということがなければ、その人は理性人とは言えない》と断言する。

また、《どんなに美しい景色でも、それを灰色の眼鏡をかけて眺めるなら、いっさい灰色になります。また、はじめから自分の立場をきめておいて、その立場からものをながめますなら、ものの一面しか見えません。従って、そのものの全体の姿もゆがめられているはずです。そのような色眼鏡をはずすこと、自分の立場を必要に応じていつでも変えるということが、すなわち精神の自由を保つということなのであります》と言う。

卑近な例として、ある日のワイン会でフランス最高峰のワインを味わったとしよう。既成の知識として、すべてのワイン愛好家が絶賛する、最高級ワインであることを知っている。みんながおいしいというので自分もそう思う。はたして、そうだろうか?日本に持ち込む輸送状態や当時の貯蔵状態によって、ワインの品質が保てず、味が落ちたりすることは往々にしてある。また、今般はにせものだってありえる。人がそう言うからではなく、銘柄や既成の知識に惑わされず、自分がどう味わい、どう感じたか、自分の理性をもって判断することが大切なのだと、澤瀉氏は言いたいのである。

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感動の一言

sun命が疲れたというまで せいいっぱい生きようsun

闘病生活の末、11歳という短い生涯を終えた少女宮越由貴奈ちゃんの、亡くなる4ヶ月前に書いた「命」という詩の言葉である。命を電池に比喩し、それが切れるまで生き続けたい、生き続けなくてはいけないと言うこのメッセージーは、2004年に雑誌やTVで紹介され、ばあたり的に生きていた我々に強烈なインパクトを与えた。

自分が疲れて、命を粗末にする人がいる。どんなに自分が疲れても、自分の命は生き続けようとしている。逆に、自分が生きようとしても、病気や寿命で命は尽きようとする。自分と命は別なんだ。だからこそ、その命が尽きるまで、人は一生懸命に生きる義務がある。どんな偉人が言ってもそらぞらしくなることを、わずか11歳のユキナちゃんが、生の叫びとして訴えたことで、将来に残る命のメッセージとなった

『命』 宮越由貴奈

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池は切れる
命はいつかなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど
命は簡単にはとりかえられない

何年も何年も月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも「命なんかいらない。」と言って
命をむだにするひともいる
そんな人をみていると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに…

だから私は
命が疲れたというまで
せいいっぱい
生きよう。         

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恋愛感情の一言

sun誰かを好きな気持ちは、平面じゃなく立体のような気がするsun

歌人でエッセイシストの佐藤真由美の著書「恋する四字熟語」の中の言葉である。この著書は、四字熟語の勉強にもなるし、佐藤さんの歌人らしい創造的スパイスの効いた文面がまたおもしろい。この言葉の解釈を、著書から引用してみよう。『二律背反(にりつ・はいはん)-憎い、恋しい、嫌いだけど、気になる。好きなのに、許せない。相反する感情が、同時に存在するのが恋というものだ。----途中省略----誰かを好きな気持ちは、平面じゃなくて立体のような気がする。裏表だけじゃなくて、間にもっといろいろな感情のつまった、いびつな球体。すっきり、まっすぐ、なんていかない。アンビバレント(二律背反)な思いを、そのまま黙って抱え続けるしかないと思う。』

アンビバレントの思いに悩みつつ生きていくのが,人生だ。特に恋愛感情は、アンビバレントだらけだ。自分でも思わぬことを言ったり、信じられない行為をしてしまったりして、後から後悔してしまう。恋愛感情を、いろいろな感情のつまったいびつな球体とは、佐藤さん、旨いことを言う。

※二律背反:相互に対立・矛盾する二つの命題が、同等の権利をもって主張されること

pencil今朝怒り 昼に笑って 夕に泣き 朝を迎えて また笑う君

pencilはかなくも 虹色に輝く しゃぼんだま

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恋・愛の一言

sun愛する・・それはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見つめることであるsun

「星の王子様」の著者である、フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉である。恋愛のお互いのゆらぎは、確かに見つめ合うことから始まる。しかし、見つめ合っていても、いつかは飽きが来る。見つめすぎると粗も見えてくる。容姿はもちろんのこと生き方の違い、価値観の違いも恋愛当初は魅力的にみえることがあるが、時間の経過とともにそれは薄れ、下手すれば争いの要因にも成りかねない。同じ方向を見つめることとは、同じ目的を持つことと言うよりも、自分たちの生き方にお互い同調し尊重し合いながら、心から助力を惜しまない心情を持つことだとおもう。そして、お互いの価値観を共有し、どちらか一方が成長するのではなく、一緒に成長していくのが好ましい。自分のような性格では、恋することは容易であるが愛することは難しいと、深く深く感じる今日この頃です。

pencilどこまでも あなたと走る 影法師

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モットー?の一言

sun去るものは追わず 来るものは拒まずsun

孟子の「それ予の科を設くるや、往(さ)る者は追わず、来たる者は拒まず」から採られた故事である。自分から離れて行こうとする者は、その意志に任せて、強いて引き留めない。 心を寄せて近づいて来る者は、どんな者でも受け入れるという意味である。これは、薄情で無責任な心情ではない。誠心誠意他人を思い、また自らも執着、未練に惑わされずわが道を行く, 広い心を持てと言うことだと思う。この言葉のモノは、人間関係だけではなく、権威、名誉、お金などすべての欲の対象物にもあてはまる。すなわちそれらは、自分が欲する、欲しないにかかわらず、来る時は来て去るときは去るのである。すなわち、そんなことにいちいち気にするなと言うことである。

pencil往く女(ひと)の 後ろ姿の涙髪 酒にとかして 酔いに消えゆく

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癒される一言

sun今日頑張ったご褒美に、明日がやって来る-日本のことわざsun

明日と言う字は、明るい日と書くのねnotesと昔の流行歌にあったが、今日一生懸命頑張った事は、必ずや明るい未来を呼び寄せる。頑張ったご褒美に明日が来るのではなく、明日がむこうからやって来るのだ。きっと誰でも仕事や勉強、人間関係等で、つらい、きつい、逃げ出したい場面に「なんで私だけこんな思いせんといかんの」と思いながらも今日一日終えた経験があるだろう。そんな時にはこの言葉を思い出してほしい。少しは今日のことは癒され、明日からまた頑張ろうと思うかも・・・・

pencil初詣 行き交う人も 活きて輝く

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新年の一言

sunNew Year's Day is every man's birthday.    元日は、すべての人の誕生日であるsun

イギリスの児童文学者、エッセイストであるチャールズ・ラムのことばである。日本人の多くは、元日を迎えるたびに、今年こそはと初日の出に誓い、日頃無関心の神に、神社、仏閣まで詣出て命運を託す。誰もが、新たな自分に期待するのだ。この慣習をだれが批評できようか。人間味ある行為じゃないか。元日は、去年の自分から生まれ変わる誕生日だ。良い言葉だ。しかし2009年を迎え、まだ自分の抱負が見出せないでいる僕がここにいる。ものぐさな皆さん!一緒に頑張りましょう!!

fuji新しき 神矢をささげ 舞う巫女の 紅き裾にぞ 春は舞い来る

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励ましの一言

sun一灯を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うるなかれ、一灯を頼め

徳川幕府での最高権威の儒学者であった、齋藤一斎の言葉である。『真っ暗な絶望の中でも、わずかな希望や夢を信じて行動せよ』と、今般の憂鬱になる世情の中でのやるせない心情に、訴える一言である。金融破綻から始まった世界同時不況は、日本経済をも直撃し、自動車業界などの輸出基幹企業が過去に例の無い大打撃を被り、先の見通しも立たない状態だ。そのあおりで、今年10月から来年3月にかけ85000人超失職すると厚生労働省から発表された。この数は、日を追うごとに残念ながら増加する可能性が強い。確かにお先真っ暗だ。しかし、歴史は困難な時代を、常に乗り切って来た。先人は、逆境から必死に這い上がってきた。来年は厳しい年になるだろう。かといって絶望の中に埋没するわけにはいかない。政治家や財界人は、早期の現状打破に向け責任ある職務を全うして欲しい。自分自身は、自ら一灯を頼み、行動するのみ。そこに活路を見出したい。

pencilありがたや 闇夜の月と ひと情け


 

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自分の人生から捨てられない一言

sun酒は飲むべし百薬の長、女は抱くべしこれ人生無常の快楽sun

明治、大正時代の寮歌等の口上につかわれた言葉である。早稲田大学出身の会社の先輩が、「人生劇場」を酔っ払って歌ってくれたとき、必ず口上として豪快に弁舌してくれた。そのたびに、男に生まれて良かったと思う至高の名言であると感心したものだ。笑われるかもしれないが、酒と無常の快楽は、自分にとって生きるエナジーの糧といっても過言ではない。75歳まで現役でいたい。いや、死ぬまでかな?やりすぎるのは、何事も良くない。されど、わかっちゃいるけど止められないのも人生だ。六根清浄、一根不浄。ああ、南無女人!

《口上の全文》 
富貴名門の子女に恋するを
純情の恋いと誰が言ふ。
路頭に迷える女性に恋するを
不情の恋と誰が言ふ。
泣いて笑って風月月下の酒場に
媚を売る女性の中にも                 
水蓮の如き純情あり
風吹かば風吹くが良し
雨降らば雨降れば良し
酒は飲むべし百薬の長
女は抱くべしこれ人生無常の快楽

妖色美人の膝枕に快楽の一夜明くれば
夢もなし 又、金もなし
いざ歌わん ・・・・・・

pencil祓えども 祓えきれぬ わが身かな

pencil那須の閨 われを食らうか 九尾の女狐

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決断を奮い立たせる一言

sunできる事でも、できぬと思えばできぬ。できぬと見えても、できると信ずるがためにできることもあるsun

近代日本を代表する言論人、哲学者、評論家の三宅雪嶺の言葉である。僕が社会人の端くれだった頃、上司に、どう考えても到達しえない目標を言い渡され、「こんな目標無理ですよ」と食って掛かって、逆に「やってもみない前に、減らず口たたくな!」と叱咤された経験がある。結果は、開き直って努力したら目標を達成でき、このおかげで自分に大きな自信がついて、その後の仕事に対して前向きに決断できるようになった。未経験の実行に対し、往々にしてネガティブな傾向になりがちだ。それは、失敗したときの恐怖感や自分の能力の限界を露呈させることへの劣等感が、できれば挑戦したくないと躊躇させるのだろう。『できると信ずるがためにできる事がある』は真実であると、僕は経験上知った。何事もやってみないとわからないものである。信じてやってみたら、思わぬ結果がでるかもしれない。

pencil踏み込めば 大山見ゆる あさぼらけ

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理想の一言

sun愛とは?かぎりない寛容。些細なことからくる法悦。無意識な善意。完全なる自己忘却sun

フランスの作家、ジャック・シャルドンヌの言葉だ。僕は正直言って、今までに愛について深く考えた記憶が無い。この言葉に出会って、愛は言葉で表現できるのかと感心した。ただシャルドンヌが言うように、愛が、限りない寛容であり、些細なことからくる法悦で、無意識な善意で、完全なる自己忘却であるならば、愛と言う意味自体が、理性のもとには存在しえないことにならないか。それとも、愛は無意識から表出する、人間が持つ最高の知性なのだろうか。愛は、多種多様な様相がある。それは、憎しみと表裏一体であったり、死と隣り合わせであったりもする。愛を一概に言葉で表せない気がして、それが、いままで愛について考えて来なかった理由かもしれない。しかし、自分の中に、愛らしきものが存在していることだけは信じられるし、できれば良いかたちで成長させていければと思っている。

pencil冬の窓 あかり灯りて 笑い声

pencil愛してる 言えというから 「あいしてる」

pencil別れ際 寂しげに問う 愛してる?

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戒めの一言

sun人間にとって、苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱であるsun

パスカルの原理や「人間は考える葦である」のフレーズで有名な『パンセ』の著者でもある、物理学者、哲学者、思想家、宗教家のブレーズ・パスカルの言葉である。僕は、どちらかと言うと快楽主義者である。人それぞれ幸福感が違って当然であり、社会の構成員であることから逸脱しない限り、人間は自由に自らの快楽を追及して良いと思う。しかし目前の快楽に負け、往々にして自分の信念や信条を曲げてしまうことがある。また、自己嫌悪に陥り、厭世的になって、自堕落な快楽に埋没することがある。最悪は、社会の構成員から逸脱して、利己的な快楽にはしることである。直近の俗世を見渡しても、食品偽装問題、大麻吸飲・所持事件、多額詐欺・横領、不当な内定取り消し等、枚挙にいとまがない。世知辛い現代だからこそ、自分を見失わないために、この言葉を肝に銘じたいものだ。

pencil注げども したたり落ちる 砂の椀

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友情以上恋人未満

sun男と女の間には、情熱、敵意、崇拝、恋愛のみで友情はありえないsun

こう喝破したのは、「幸福な王子」の著者で有名なオスカー・ワイルドである。しかし、時代とともに環境も変り、現代に至っては男女の異性間も微妙に変化してきたようだ。恋人でもない男の自宅に、誘われれば軽い気持ちでついていく女性。理由を聞いても、彼とはそんな関係ではないし、彼も理解していて、男女関係にはなりえないとキッパリと断定するらしい(誘った男性の心理も聴いて見たいものだが・・・)”友情以上恋人未満”の男女は、恋愛関係には発展しないそうだ。告白してこう言われたら、まあ振られたと思ったほうがいいらしいですよ。なぜなら、あなた以外に多数の人が控えていますから。

pencilいい人ね そう言われたら ただの人

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なんとなく納得した一言

sun人生は短く、技芸は長く、機会は去りやすく、経験は疑わしく、判断はむずかしいsun

紀元前の古代ギリシャの医者、ヒポクラテスの言葉だ。ヒポクラテスは、呪術的で迷信に依存する原始医学を、現代のような科学的な医学に転換した人で、『医学の父』と呼ばれている。また、医師の倫理性と客観性を重んじた人物でもあったらしい。医療制度の抜本的な見直しが叫ばれている現状、医師の倫理性をとやかく言っているが、医師に限らず倫理性の欠如は社会全体に蔓延しているのではないだろうか。今般の政治も経済も、そしてそれに伴う社会も、過去の経験は適用しえない最悪の一途を辿っているような気がしてならない。僕は、「成すにまかせよ」的な『市場原理主義』が、人の価値観や倫理観も変えてしまったような気がする。それではどうすれば良いかと問われても、僕にはわからない。でもわからないながらも、少しづつ無い頭で考えてみたいと思う。

pencil冬の夜に 枯れ尾花の 狂い咲き dash

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好きな一言

sun寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知るsun

アメリカの『自由詩の父』と呼ばれたウォルター・ホイットマンの言葉だ。僕は、笑顔がきれいな人が好きだ。経験上、過去に苦労したひとほど、微笑んだ笑顔がすばらしく美しい。その笑顔は、人生の荒波にもまれた悲哀は感じられず、慈愛に満ちた笑顔だ。作為的に賢人ぶる人は、笑顔のなかに虚をみる。はたして僕の笑顔は美しいだろうか?

pencil無邪気さの 目もとさわやか 笑い皺happy01

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気になった一言

sun人を信じなさい!その百倍自分を信じなさいsun

天才漫画家の手塚治虫の言葉だと、今朝のテレビから知った。自分を信じ、わが道を突き進むことの出来る人を、僕は本当にうらやましく思うと同時に尊敬する。その信念の発露を妬ましくも思う。自己嫌疑感の強さは、自信の無さが起因しているのだろう。その自信の無さは、どこに起因するのか。自分に向き合うことが臆病で、無勉強、無関心、無努力。自分はこれでいいんだと言う、ニヒル的な納得。かと言って、対人関係が気になる気弱者。自分の今のなさけなさに、つくづく嫌気がさす。

今日を契機に、自分探しの旅にでてみるかな。

pencilメタ腹は 怠惰という 毒素の塊pig

pencil怠惰という 毒素を減らす ダイエットbleah

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不倫は文化?

世界各地で繰り広げられる男と女の情事を徹底的に国際比較した、パメラ・ドラッカーマン(コロンビア大学大学院卒、パリ在住の主婦)著『不倫の惑星』からの抜粋。

pen社会学者のジェームス・ファレが指摘しているように、どんな文化にも、不実を働いても仕方ないと だれもが認めるシナリオがあるのだ。

penこの協会(アメリカ夫婦家族療法協会)のウエブサイトには以下のような説明が載っている。「浮気をしたひとが信頼を回復するためには、浮気相手の名前や性交渉の詳細など、伴侶がしりたがることはどんな細かいことでもかくしだてせずに洗いざらい話す必要があります」さらに、浮気をした人間は、「不倫の責任を身をもって引き受けなければなりません。伴侶、個人的な問題や内面的な問題、仕事のプレッシャーなどのせいにしてはならないのです」としている。クリントン(ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領)がとったのは、まさに以上のアドバイスどうりの行動だった。

pen仮にわたしが浮気をしたら、夫には”性的ネットワークを広げていただけよ”と言えばいい。

penそういった一連の調査(1998年クリントンとルインスキーのホワイトハウス密通事件時)によって、男性の98%、女性の78%が伴侶以外とのセックスを空想したことがあり、毎日セックスのことを考える人々は週に数回しか考えない人々より、婚外セックスする確率が22%高い。さらに、伴侶の家族と過ごす時間を大切にする人々は、婚外セックスする確率が24%低いとの報告がされた。

penセラピストたちは、夫が嫌うタイプの妻は1950年代には『不感症の女性』だったが、1990年代では『退屈な女性』になっている、と個々の事例にもとづいて結論づけた。

pen《レディース・ホームジャーナル》は読者に向けて、こうアドバイスしている。

  夫をつなぎとめておくために必要なのは、ダイエットや新調したランジェリーではなく、読書、読書、読書です!本、雑誌や新聞の記事、映画、ニュースなどの話をご主人としましょう!健全な結婚は、居心地のいい環境と現状維持では得られないことを忘れないように。安らぎを得るだけで満足していたら、結婚は長続きしませんよ。

pen不倫は基本的にはセックスをふくむことだが、服を脱がない不倫もまたありなのだ。

                            

            

  

     

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晩秋の街角で・・・

pencil貧寒と 耳に凍てつく  クリスマス

街並みは、もうクリスマス真っ盛り!イミテーションも夜を彩り、クリスマスキャロルが鳴りわたる。

いつもは、リンカン、リンカンと楽しげなクリスマスソングも、今の世情とわが身を現してか、ヒンカン ヒンカンと聞こえる。

こんな時こそ、他愛も無い快楽でも良しとしよう。

pencilがんばれと メタ腹だけが 活気づき

なんで?なんでメタ腹だけが、主人の意に反して成長するの!

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秋だなぁ

カチリ

 石英の音

    ・・・maple

研ぎ澄まされた冷たい音に、透き通った清浄の晩秋を感じさせる

みごとな三行句。

北の旅人が冬の訪れを知らしめる頃、毎年この句が頭に浮かぶ。

人肌恋しくなるこの季節

この句を肴に

独りで燗酒呑みながらbottle

昔の女を思い出す。

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Photo

ああ、自堕落な遊興詩人よ

無意味な詩を詠むのはそろそろ止めて

枯葉の下で静かに眠ろう

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占い師のジレンマ③

僕はパックだ。

5名の占い師の運命はどうなったのでしょうか?“占い師のジレンマ”早速話を続けましょう。

翌日、天空の真上に日が燦燦と輝いた時、5名の占い師たちは大広間に集まりました。今回も、だれも自分の名前を書くものはおりませんでした。昨日と同様横一列に立たされたと思う間もなく、3人の兵士が後に近づき、3名の占い師の首をこれまたみごとに切り落としました。

残った2名は隣の部屋に連れて行かれ、そこには昨日と同様に盛りだくさんの料理と王様が待っておりました。

「これで不埒な占い師どもはいなくなった。さあ心置きなく料理を味わってくれ」2名の占い師は、これで首を切られることもない安堵感から、食事もワインもことさら美味しく思えました。しばらくして、酔いで顔がうす赤くなった一人の占い師が王様に尋ねました。「恐れながら王様、これで私たちは側近として召抱えて頂けるのでしょうか・・」

王様は、白い布で口を拭きながら言いました。

「ううん、そのことだがお前たち2名ともども召抱えることはない。お前たちなら判るであろうが、国の運命をまかせる占い師が2名いては災いをもたらす。前にも言ったがお前たちのことを先刻いろいろ調べ上げ、その結果、お前たち2名のうち一人が余の側近にふさわしい占い師であろうとすでに決めておる。そこでだ。余が誰を指名し、その判断が正しいかどうかお前たちに占ってもらいたい。

明日、日が天空の真上に昇りし時までに、今一度生死をかけて占ってみよ。」

王様はそう言い残すと、またそそくさと退出してしまいました。残された二人は、顔面蒼白になったお互いの顔を見合わせ、しばらく席から動けませんでした。

なんとか各々部屋に戻った二人は、占うどころか真剣に考えはじめました。「王様に結果をお答えする言い方としては、《王様の指名は間違っており、指名すべきは自分である》―①《王様の指名は間違っており、指名すべきは相手である》―②《王様の指名は正しく、まさに自分である》-③《王様の指名は正しく、まさに相手である》-④がある。そのうち②と④は首を切られるリスクもありながら、あわよくば当たったとしても相手に側近の地位を明け渡すはめになり、こんな不名誉なことはないので問題外だ。①は、指名されたのが相手であるならば自分を主張することができるが、指名されたのが自分であった場合、王様の意思を否定し、前後の言い回しも矛盾して首を切られるはめになる。となると③の《王様の指名は正しく、まさに自分である》が、指名が相手であったならば諦めねばならないが、自分であれば一貫性があり、側近の地位も保障される。これに賭けるしかない。」二人の占い師は、結局同じ結論に達しました。

翌日、運命の時がやってきました。大広間には、王様が龍の透かし彫りを施した賢者の椅子に座り、その周辺を側近の家来たち数十名が列席しておりました。

占い師二名は、王様の前に引き出されました。二人の両側には、兵士がいかめしい顔で立っておりました。

「どうだ。占いはでたか?」王様は、声高にいいました。「はい」と占い師2名は、蚊の鳴くような声で同時に応えました。そして、王様の指名は正しく、まさに自分であると占いにでたことを、各々慇懃に話しました。

話終え、二人は王様の裁断を固唾を飲んで待ちました。

すると、まず側近たちが退出しはじめ、王様も席を立ち、扉に向かわれようとされました。二人の占い師は、屈強な兵士に腕をとられました。「お待ち下さい王様。なにとぞご下命を。どちらかにご裁断を」。王様は、二人の前に巻物を投げてよこし、「お前たちへの返答はこれじゃ」と言い残し退出していきました。

二人は必死に巻物を拾い上げ、中に書かれているものを、いや自分の名前を探しました。ところがそれを見た二人は、目も飛び出さんばかりの形相で「こ、これはどう言うことじゃ。これは、どういうことですか、王様。これは・・」と叫び、兵士に引きずられながらもう一つの扉の外に消えていきました。

大広間には、先ほどの巻物だけが、吹き込んだ風にくるくると舞い踊っていました。よく見るとそれは、なにも書かれていない、白紙の紙でした。

その後プルド国には、占い師は誰もいなくなりました。国王も自らの判断と叡智を持った側近たちとで公務を運営し、近代国家の礎を築きました。

いまでも小高い丘の上に、岩に彫られた碑があります。それには、こう書かれていました。

【運命は、大いなる神のみぞ知るものなり。ゆえに自らの信念に従い活きることこそ、人の道なり

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占い師のジレンマ②

僕はパックだ。〔占い師のジレンマ〕の話を続けましょう。

その夜、各々の部屋に戻った占い師たちは、こう思いました。“王様の言った不届きな占い師とは、私のことだろうか。いや、そんなことはない。あの様なことは、この国の占い師なら誰でもやっていることだ。正直に占ってやり、出てきた結果をそのまま伝えているだけじゃないか。ときには相手の顔色を読んで言うこともあるが、まったく嘘をいっている訳でもない。それで客は納得して金を払っている。それが何が悪い。きっと、適当にあしらわれかつ法外な金額を要求された客が、宮殿にタレこんだに違いない。11名とも履歴の書など読まなくてもよく知っている。そんなドジを踏みそうな占い師は、さて、誰だろうか・・・”

占い師たちは、だれもが自分の名前を書かず、推測と占いによりこれぞと思う名前を指定の用紙に書き込みました。

翌日、日が天空の真上に来たとき、11名の占い師は再度大広間に集合させられました。昨夜の丸テーブルはなく、椅子も無くなっていました。王の姿もなく六人の兵士だけが剣を抜いて待っていました。占い師たちは、横一列に立って並ばされ、兵士たちが後に近づいてきて、あっという間に六人の占い師の首をはねました。残った5名はわなわなと唇を震わせ、今にも失神しそうになりながらも、兵士たちに隣の部屋につれて行かれました。色鮮やかな絨毯に丸テーブルが置かれ、その上には盛りだくさんの料理があり、王様が手招きしてテーブルに座るよう占い師たちに命じました。

「みごと的中じゃ。お前たちの霊感、霊視は本物かもしれんな。昨夜は食事ものどを通らなかっただろう。遠慮はいらん。飲んで食べよ。」

さきほどのショックも冷め切れぬまま、5名は少しずつワインや食べ物を口に運びました。しばらくして、ワインのほどよい酔いのせいか、やっと自分たちの勝利に安堵する余裕がでてきました。口々に自分たちの占いの自慢話さえするようになりました。

頃合を計ったように王様が席から立ち上がると、占い師たちにむかって言いました。

「実は、もう一度占ってもらうことになった。先ほど報告があり、この5名の中に不埒な占い師が、まだ一人紛れ込んでいることがわかったのだ。お前たちの占いの真価を、もう一度見極めるためにも良い機会だ。再び明日、日が天空の真上に来たときに裁断する。」王様はそう言い残し、そそくさと退出してしまいました。占い師の5名は、やっと歓喜の絶頂にたどり着いたと思いきや、再び奈落の谷底に突き落とされた気分になりました。

    つづく

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占い師のジレンマ①

僕はパックだ。あなたは、霊感、霊視、占いを信じる方ですか?

これは、昔、むかしの本当にあった・・かもしれないお話です。

まだ、ヨーロッパやアジアが混沌としていたユーラシア大陸の片隅に、プルド国という王国がありました。ある日、国王は巷で有名な12名の占い師を宮殿に招きました。その日は黒い雲に月も隠され、生臭い風が漂い、山犬がやたらに泣き吠える闇夜でした。12名の占い師は、閑散とした大広間の中央におかれた丸テーブルに、招かれた訳もわからず、なにかと推測しながら座って、王の第一声を厳粛に待っておりました。やがて二人の精悍な兵士を後に控えさせた王が、同じテーブルに座した12名の占い師を見渡し声太に話し始めました。

「今宵お前たちを招き入れたのは、余とともにこの王国の行く末を良きものにするため、余の助言者と成りうる側近の占い師を選出するためだ。」思わずすべての占い師から“おっ!”という感嘆の声が大広間に漏れ響き渡りました。「お前たちがこれを望み、またお前たち12名の霊感、霊視の能力の高さは、余の耳にも聴き届いている。未来を言い当てる術はずば抜けているとか・・。そこで側近の占い師を選出にあたり、今宵お前たちに占ってもらいたいものがある。」またしても平静を装っていた占い師すべてに“望むところだ”と、挑戦的な表情が露骨に表れました。王は無視して先を続けました。「実はお前たちの中に、一人だけ許されざる者がいる。その者は俄仕立ての占いで、わが愛する民衆を二枚舌でたぶらかし、手練手管で信用させ、金銭を巻き上げる守銭奴のような占い師である。驚くなかれ自筆の占いの書物なども売りさばき、得た収益で自分の弟子を養成し、金銭を巻き上げる団体をつくろうと画策しておる。その者の名はすでに明白であり、この紙にしたためてある。そこでお前たちに、得意とする占いでその者が誰かを割り出してほしい。間違って占った者は、その者と同罪とみなし即刻首を斬る。また、その不届き者が、自ら自分だと占いより申し出たならば、斬首せず許すこととする。みごと当てた者には、優遇するであろう」

いままで喜色にとんだ顔をしていた占い師の面々は、突然奈落の底に落とされたように、顔面蒼白になりました。すると、一人の恰幅のよい、坊主頭の中年の占い師が、恐る恐る口を開きました。「おそれながら王様に申し上げます。占いとは、森羅万象のすべての事柄(過去も未来も)が叩き込まれている空間から、占い師の身体を通して外に表出するものでございます。従って、占い師の体調のいかんによって占いが左右する、いやいやめったにそう言う事はないのですが、たまにですが、本当にたまに占いが当たらぬこともありまして・・・。まして、自分を占うのは至難の業でございます。なにとぞ、なにとぞ占いの如何による斬首の刑だけはご勘弁いただきたく、御一考をお願い申し上げます。」

王様は、後ろの兵士の一人に目配せをしました。兵士はつかつかと坊主頭の占い師のところに行くと、剣をぬき、いきなり首をはねてしまいました。血しぶきが噴水のように飛び散り、首は転がって、ちょうど丸テーブルの中央あたりで頭を上にして止まりました。11名の占い師は声も出ず、何人かは椅子から転げ落ちました。

王様は立ち上がると、威厳を持って話はじめました。

「体調のいかんによって占いが左右すると?お前たちは自分が病気等で寝込む以外は、毎日路上やいかがわしい場所において占い、真実と謂わんばかりに、か弱い民から金をまきあげているではないか。また、余の側近となるならば、その占いが国の存亡にかかわる重要な意味をもつことを知れ。お前たちが巷で豪語しているように、占いに一切の過ちがあってはならぬ。これからお前たちに、首を切り落とした者も含めて12名の占い師の履歴の書を渡す。それを持って各々にあてがった部屋に入り、占って先の一名を見出すのだ。必要なものがあれば、番人に言うがよい。用意させよう。自分の部屋から絶対出てはならない。逃げ出そうとしても無駄だ。明日、日が天空の真上に来たとき、この大広間で裁断する。部屋には食事も湯もある。まずはくつろげ。余も疲れた。」

     ・・・つづく・・・

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桜の森の満開の下で

僕はパックだ。古来、桜は人の心を狂わすと謂われていて、旅の道中、桜の満開の森があればそこを迂回して通ったらしい。

その昔、夫婦の契を結んだばかりの旅の男女が、桜の森の満開の下を通り過ぎようとした。周りには人っ子一人居らず自分達二人だけで、そこに一筋の風が吹きぬけ、みごとに桜の花びらが、あたり一面に舞い踊った。幻想的なその中でしばし茫然とした二人であったが、どうしたことか男に震えが来るくらいの恐れが湧き立ち、そこから逃げるように一目散に駆け出した。女が男の名を叫んだが振り向きもしない。男はやっとのことで桜の森を抜け後を振り返ると、女が、置いていかれた悔しさと怒で鬼女さながらの形相を顕わに、髪を振り乱しこちらに向かっていた・・・男と女がその後別れたのは言うまでもない。

今の様な花見の宴が大衆に広まったのは、江戸時代からだそうだ。花は本来、対象物を魅了し、自分に引き寄せるために美しく咲く。満開の桜の森を想像すれば、さすがに一人では花に狂わされるかもしれない。孤独で観る桜は人を狂わすが、みんなでみれば狂わされない。しかし、どんちゃん騒ぎの花見連中(僕も含めてだけど・・)を見るにつけ、人は、桜に自ら狂わせられたいのかもしれない。

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カオスへのShouben

僕はパックだ。これは僕の作品で「カオスへのShouben」

ところで小便小僧の由来を知っていますか?2,3あるらしいのだけど僕が好きなのは「昔、侵略者が城壁を爆破しようと導火線に火をつけた爆弾を、ジュリアンという少年が機転をきかして小便をかけて消し、町を救った」武勇伝説です。可愛くて、また勇気があっていいじゃないですか。

カオス(混沌)の時代。こんな時代だからこそ私達は憂いの眼差しで、常に物事の良否を見続けて、真実を探し求めなければならないと思います。自然の破壊、人心の破壊、そして社会の破壊。私達の目の前のこれらの事象は、幻象ではなくそこにある現象です。叡智というSHOUBENで、ジュリアン少年のように勇気を持って、最悪の事態にならないよう一人一人が火消しに頑張れればと、ひ弱な僕は思うわけですよ・・

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グノーシスの提灯

僕はパックだ。ちょっとてれ屋で無精でそれでいて神経質な典型的なA型妖精?

『薔薇の名前』の荘厳さに『ダ・ブィンチ・コード』の面白さが出会った!!このキャッチフレーズにおもわず手にして、さらに「異形の小人が残した手記に描かれた禁断の秘儀と、ローマ教皇レオ十世の死の真相」・・・ローマ教皇の死の真相など興味も知りたくも無かったけど、禁断の秘儀と謂う言霊に魅入られてしまい読んでしまったデブィット・マドセン著《グノーシスの薔薇》。全編の半分程度がエログロナンセンス(これもう死語?)で占めているけど、インディペンデント紙の書評「出だしの俗っぽさに惑わされてはならない。本書はその奥にぞっとするほど、深く暗い厳格さを秘めている」がこの本の本質を言い当てていると僕も思う。ただ、小学校で渾名をつけて呼び合うことは厳禁とかをの賜う紳士淑女には、お勧めできない一物、いや一冊なので、もしどうしても読まれるとしたら心してどうぞ。

この本の題名にもあるグノーシスとは何か?本から抜粋すれば「宇宙には二つの拮抗する力が存在している。一つは善なる力、もう一つは悪の力で、両者は永久に争い続ける。善なる力は精神を創り、悪の力は物質を創った。物質、物質としての存在、物質の形、身体、肉、何て読んでも同じこと、これは悪だ。精神をその中に閉じ込め、虜囚にしてしまう。物質世界に生まれた私達は、それだけで本来あるべき精神的な状態から転落していることになる。私たちの存在の目的は、その真の精神的な状態へと戻っていくことなのだ。この世界を創造したのは悪魔(少なくとも悪魔の一人)で、だからこの世界は地獄である。以上、グノーシス主義早分かり」「頼むから、ちょっとのあいだ考えてみてほしい。神が、退廃へ、堕落へ、死へと向かうようなものを創ったり出来ただろうか?痛みを感じたりするようなものを創ったり出来ただろうか?血を流し、嘔吐し、膿を垂れ流し、糞をし、小便をし、汁をたらすようなものを?よしんば彼にそうしたものを創造する能力があったとして、なぜ彼はそんなものを望んだのか?この世界の創造者は、全てを見事なまでに汚らしいものにしてしまったとは思えないだろうか?ひょっとすると、この穢れた世界は、わざと穢れたものとしてつくられたのではないか?」

誤解のないように言っときますが、僕はグノーシス主義者でもなんでもありません。僕は単なる好奇心旺盛の薄学パック。でも、今この世知辛い俗世を見るにつけ、読後、この文面がいやに心に残っちゃたんですよね。                                                  

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