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2009年1月

粋な一言

sun三千世界のカラスを殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたsun

勤皇倒幕の志士である高杉晋作の作といわれている、有名な都都逸である。都々逸は七・七・七・五の短詩型で、三味線と供に芸者や妓女が唄う江戸情緒豊かな粋な当時の流行歌であった。

「夜明けになると、あんたは帰ってしまう。だから口うるさく鳴いて起こす あらゆる世界のカラスを全部殺して、あんたとゆっくり朝まで添い寝してみたい」と、せつなくて、はかない女心を表現している。

都都逸は作者不詳が多く、この歌も高杉晋作がどこかで聞きかじり披露したため、それを初めて聞いた客人が高杉晋作の作としてしまった可能性もある。現に、木戸孝允や久坂玄端の作であると言う文献もあり、天保年間、江戸の寄席ではやった都都逸であるともいわれ、定かではない。

それにしても、こんな粋なざれうたを、三味を弾く女性のひざまくらで聞いたら、さぞかし気持ちの良いものだろうな。日本人に生まれて良かったと、つくづく思う今日この頃です。

《好きな都都逸》

恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす
主と私は、玉子の仲よ、わたしゃ白身で黄身を抱く
惚れさせ上手なあなたのくせに、諦めさせるの下手な人
諦めましたよ、どう諦めた、諦めきれぬと諦めた

pencilいれて恥ずかし あなたにまかせ 夢見心地の 耳そうじ

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熱愛の一言

sunむねの清水 あふれてつひに濁りけり 君も罪の子 我も罪の子

明治、大正期の「情熱の歌人」与謝野晶子の『みだれ髪』の一首である。 「胸に湧く清水のような情愛があふれでてしまい、とうとう不純な関係になってしまいました。あなたも私も罪な人間なのですね」 妻を持つ与謝野鉄幹との情愛を歌った『みだれ髪』は、性愛を連想させる言葉で大胆に表現したため、当時の評者から「乱倫」の罵倒を浴びせられた。それとは逆に、文化の新生を期待する若者たちは、晶子のほとばしる性の息吹を、興奮と歓喜で迎え入れた。

与謝野晶子は、もう引くに引けない鉄幹との恋情を、お互いを罪の子と歌い、その共犯とも言うべき関係にほくそ笑む。してやったりとの女の情念さえ感じ取れる歌である。男も、それなりに満足しているにちがいないが・・・。感情がストレートで、能動的でかつ不屈の精神をもつ女性は、いつの世も、すごく好かれるか嫌われるかのどちらかであるが、歌から窺がえるこれらの与謝野晶子像は、私はすきだ。生のほとばしりを感じさせる女性は、プラスのエナジーを与えてくれる。男の運気も上げてくれるに違いない。

与謝野晶子『みだれ髪』から

乳ぶさおさへ 神秘のとばりそとけりぬ ここなる花の紅(くれない)ぞ濃き 「乳房を押さえ わたしの神秘な箇所を隠す衣のすそを指先でそっとけり開ける。今わたしのアソコが、紅く濃くなってうずいてます」

春みじかし 何に不滅のいのちぞと ちからある乳を手にさぐらせぬ 「女の盛りは短い。だから不滅の命に何の価値もない。すべてが、この今なのよ。そう言って若さみなぎる乳房をあなたに触らせた」

やわ肌の あつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君 「やわらかな肌の下に疼くあなたを慕う熱い血潮、そんな私に触れようともしないで、寂しくはないんですか?ありきたりの道徳を説いてばかりいるあなたは・・」

                   ※「現代語訳」管理者

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セラピー好きな人に一言

sun心理学は最も重要な学問であり、同時に最もどうでもいい学問であるsun

ドイツの科学ジャーナリスト、ロルフ・デーゲンの一言である。彼は、ドイツ心理学会から科学出版賞を受賞しており、有名な著書に 『フロイト先生のうそ』文芸春秋 がある。

この著書の中で彼は、「心理療法にはおまじない以上の効き目はない。心理療法の効果と言われるものは、実はプラセボ効果に過ぎない」と断定する。

プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込ませる事によって何らかの改善がみられる事を言い、すなわち、効果を信じる自己暗示によって起こる症状改善である。

また「ちょっとした解釈のコツを会得してしまえば、精神分析は《賢者の石》となる。この天才的な啓示は、ちょっとかじっただけの人にも、人生の秘密のメカニズムを見通す力を与えてくれる。これこそ精神分析の永遠の誘惑である」と言う。そして「精神分析というこの魔法の杖は、素人でもすぐに手に入れることができる。分析のコツを習得した人は、全てを見透かせるX線のようなまなざしを手に入れたとうぬぼれる。レトリックの手品を駆使して、彼らは頭でっかちの素人のプロファイリング熱を満足させる」とセラピストたちを嘲笑する。

確かに日本も、にわかセラピストの烏合の衆が増加している。それは、カナダの心理学者テイナ・ダイニーンが言うように「いかにも思いやりのありそうな仮面の下に、飽くことを知らない利己的な産業がひそんでいる」世界になりつつある。そして、セラピストたちは「セラピストの指導を受ければ人格は根本的に変えられる、性格的な短所や欠点を直すことができる、と信じ込んでいる」人に、その理論が古い理論のパッケージを変えただけのモノであるにもかかわらず、、現代のストレス社会を救い、自己変革の手助けをする新理論のように説くのである。

心理カウセリングは、手法が科学的と言うよりも宗教色が濃い。それは、占い師や霊媒師のように、相談者と会話することだけに意義がある。それは、モノや記号や図形を使って相手を洗脳し、満足感と言う感覚を、持続的ではなく、瞬間的に与えることでる。

ロルフ・デーゲンは言う。サイコセラピストは、「カネで雇った友人」にほかならない

barあなたの悩みを解決する最良の方法は、貴方が心理カウンセラーになることですhappy01

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遊・戯の一言

sun遊びをせんとや生れけむ  戯れせんとや生れけん  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ sun

平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中の言葉である。現代語で《遊ぶために生まれてきたのだろう。戯れるために生まれてきたのだろう。遊ぶ子供の声を聞いていると、自分の身もうちふるえて来る》となる。

仏語に『遊戯三昧(ゆげざんまい)』という言葉がある。遊び呆けるということではなく、なに事にも、己を忘れるくらい自分自身のすべてのエネルギーを注ぎ込んで取り組む、すなわち、遊んでいる子供のように、今、取り組んでいるその事に没頭することの意である。「梁塵秘抄」のこの句は、この『遊戯三昧』の比喩としてかかれたものではないだろうか。

また、桐生典子の小説「エゴイスト」の文中に、この句がでてくる。ストーリーは別として、ナニを躊躇する男にむかってヒロインに言わしたセリフが印象的だ。『遊びというのはね、本来の意味は、魂をなぐさめることなんですって。命を奥底から浄化すること』

wineセックスは 人と人との 崇高なお遊び

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真摯に受け止めた一言

sun理性を正しく働かせるためには、精神の自由を保ち、既成の知識でそれをとらえることをやめなければならないsun

フランス哲学の研究者であり、医学博士の 澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき)の一言である。この言葉は、ロングセラーの著書『「自分で考える」ということ』から抜粋した。

澤瀉氏は、《理性とは、ものごとを正しく判断する能力である。真と偽を区別する力である》と言う。そして、《どこまでも「自分で考える」ということがなければ、その人は理性人とは言えない》と断言する。

また、《どんなに美しい景色でも、それを灰色の眼鏡をかけて眺めるなら、いっさい灰色になります。また、はじめから自分の立場をきめておいて、その立場からものをながめますなら、ものの一面しか見えません。従って、そのものの全体の姿もゆがめられているはずです。そのような色眼鏡をはずすこと、自分の立場を必要に応じていつでも変えるということが、すなわち精神の自由を保つということなのであります》と言う。

卑近な例として、ある日のワイン会でフランス最高峰のワインを味わったとしよう。既成の知識として、すべてのワイン愛好家が絶賛する、最高級ワインであることを知っている。みんながおいしいというので自分もそう思う。はたして、そうだろうか?日本に持ち込む輸送状態や当時の貯蔵状態によって、ワインの品質が保てず、味が落ちたりすることは往々にしてある。また、今般はにせものだってありえる。人がそう言うからではなく、銘柄や既成の知識に惑わされず、自分がどう味わい、どう感じたか、自分の理性をもって判断することが大切なのだと、澤瀉氏は言いたいのである。

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感動の一言

sun命が疲れたというまで せいいっぱい生きようsun

闘病生活の末、11歳という短い生涯を終えた少女宮越由貴奈ちゃんの、亡くなる4ヶ月前に書いた「命」という詩の言葉である。命を電池に比喩し、それが切れるまで生き続けたい、生き続けなくてはいけないと言うこのメッセージーは、2004年に雑誌やTVで紹介され、ばあたり的に生きていた我々に強烈なインパクトを与えた。

自分が疲れて、命を粗末にする人がいる。どんなに自分が疲れても、自分の命は生き続けようとしている。逆に、自分が生きようとしても、病気や寿命で命は尽きようとする。自分と命は別なんだ。だからこそ、その命が尽きるまで、人は一生懸命に生きる義務がある。どんな偉人が言ってもそらぞらしくなることを、わずか11歳のユキナちゃんが、生の叫びとして訴えたことで、将来に残る命のメッセージとなった

『命』 宮越由貴奈

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池は切れる
命はいつかなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど
命は簡単にはとりかえられない

何年も何年も月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも「命なんかいらない。」と言って
命をむだにするひともいる
そんな人をみていると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに…

だから私は
命が疲れたというまで
せいいっぱい
生きよう。         

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恋愛感情の一言

sun誰かを好きな気持ちは、平面じゃなく立体のような気がするsun

歌人でエッセイシストの佐藤真由美の著書「恋する四字熟語」の中の言葉である。この著書は、四字熟語の勉強にもなるし、佐藤さんの歌人らしい創造的スパイスの効いた文面がまたおもしろい。この言葉の解釈を、著書から引用してみよう。『二律背反(にりつ・はいはん)-憎い、恋しい、嫌いだけど、気になる。好きなのに、許せない。相反する感情が、同時に存在するのが恋というものだ。----途中省略----誰かを好きな気持ちは、平面じゃなくて立体のような気がする。裏表だけじゃなくて、間にもっといろいろな感情のつまった、いびつな球体。すっきり、まっすぐ、なんていかない。アンビバレント(二律背反)な思いを、そのまま黙って抱え続けるしかないと思う。』

アンビバレントの思いに悩みつつ生きていくのが,人生だ。特に恋愛感情は、アンビバレントだらけだ。自分でも思わぬことを言ったり、信じられない行為をしてしまったりして、後から後悔してしまう。恋愛感情を、いろいろな感情のつまったいびつな球体とは、佐藤さん、旨いことを言う。

※二律背反:相互に対立・矛盾する二つの命題が、同等の権利をもって主張されること

pencil今朝怒り 昼に笑って 夕に泣き 朝を迎えて また笑う君

pencilはかなくも 虹色に輝く しゃぼんだま

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恋・愛の一言

sun愛する・・それはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見つめることであるsun

「星の王子様」の著者である、フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉である。恋愛のお互いのゆらぎは、確かに見つめ合うことから始まる。しかし、見つめ合っていても、いつかは飽きが来る。見つめすぎると粗も見えてくる。容姿はもちろんのこと生き方の違い、価値観の違いも恋愛当初は魅力的にみえることがあるが、時間の経過とともにそれは薄れ、下手すれば争いの要因にも成りかねない。同じ方向を見つめることとは、同じ目的を持つことと言うよりも、自分たちの生き方にお互い同調し尊重し合いながら、心から助力を惜しまない心情を持つことだとおもう。そして、お互いの価値観を共有し、どちらか一方が成長するのではなく、一緒に成長していくのが好ましい。自分のような性格では、恋することは容易であるが愛することは難しいと、深く深く感じる今日この頃です。

pencilどこまでも あなたと走る 影法師

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モットー?の一言

sun去るものは追わず 来るものは拒まずsun

孟子の「それ予の科を設くるや、往(さ)る者は追わず、来たる者は拒まず」から採られた故事である。自分から離れて行こうとする者は、その意志に任せて、強いて引き留めない。 心を寄せて近づいて来る者は、どんな者でも受け入れるという意味である。これは、薄情で無責任な心情ではない。誠心誠意他人を思い、また自らも執着、未練に惑わされずわが道を行く, 広い心を持てと言うことだと思う。この言葉のモノは、人間関係だけではなく、権威、名誉、お金などすべての欲の対象物にもあてはまる。すなわちそれらは、自分が欲する、欲しないにかかわらず、来る時は来て去るときは去るのである。すなわち、そんなことにいちいち気にするなと言うことである。

pencil往く女(ひと)の 後ろ姿の涙髪 酒にとかして 酔いに消えゆく

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癒される一言

sun今日頑張ったご褒美に、明日がやって来る-日本のことわざsun

明日と言う字は、明るい日と書くのねnotesと昔の流行歌にあったが、今日一生懸命頑張った事は、必ずや明るい未来を呼び寄せる。頑張ったご褒美に明日が来るのではなく、明日がむこうからやって来るのだ。きっと誰でも仕事や勉強、人間関係等で、つらい、きつい、逃げ出したい場面に「なんで私だけこんな思いせんといかんの」と思いながらも今日一日終えた経験があるだろう。そんな時にはこの言葉を思い出してほしい。少しは今日のことは癒され、明日からまた頑張ろうと思うかも・・・・

pencil初詣 行き交う人も 活きて輝く

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新年の一言

sunNew Year's Day is every man's birthday.    元日は、すべての人の誕生日であるsun

イギリスの児童文学者、エッセイストであるチャールズ・ラムのことばである。日本人の多くは、元日を迎えるたびに、今年こそはと初日の出に誓い、日頃無関心の神に、神社、仏閣まで詣出て命運を託す。誰もが、新たな自分に期待するのだ。この慣習をだれが批評できようか。人間味ある行為じゃないか。元日は、去年の自分から生まれ変わる誕生日だ。良い言葉だ。しかし2009年を迎え、まだ自分の抱負が見出せないでいる僕がここにいる。ものぐさな皆さん!一緒に頑張りましょう!!

fuji新しき 神矢をささげ 舞う巫女の 紅き裾にぞ 春は舞い来る

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